2012年11月5日月曜日

#日々の新聞「子どもを守る」特集 #ふくしま集団疎開裁判 通して嘘・隠蔽をあばきたい

いわき市沼之内漁港、震災がれき撤去作業の記録写真。日々の新聞社サイト該当記事(フロントページ)

郡山市内で先日、福島県いわき市で隔週刊紙「日々の新聞 IWAKI BIWEEKLY REVIEW」を発行する「日々の新聞社」の編集者と記者のお二人に取材を受けました。該当記事を、同社のご厚意により、ここに転載させていただきます。なお、当稿はわたし(yuima21c)個人に対する取材にもとづく新聞記事であるので、必ずしも「ふくしま集団疎開裁判」の会の公式見解でないことはいうまでもありません。Yuima21c
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子どもを守る 特集
放射線量が高い福島や郡山のことが気になる。どちらの地区でも、子どもたちを放射能から守るための活動が女性を中心に行われているが、壁は厚い。集団疎開裁判、公的甲状腺の検査、除染工事が行われている脇で遊び、どんぐりを拾う親子たち‥・。その場面場面で汚染されてしまった地域に暮らすものとしてのさまざまな思いが交錯する。「どうやって子どもを守るのか」。ふくしま集団疎開裁判の会代表、井上利男さんの取材などから考える。

ふくしま集団疎開裁判の会代表
 井上 利男さん

運動のベースにあるのは「子どもたちを大事にしない国は滅びる」という思いだ。郡山では原発事故当初、「放射能被害とは無縁の地区」という意識の人たちが多かった。確かにはじめのうちは原発に近い地区の人たちが次々と避難してきて、世話をする立場だった。ところが少し過ぎて、福島市と同じように放射線量 が高いことがわかり、子どもたちを心配する声が上がった。その中心にいたのが、井上利男さん(67)だった。
「残念ではありますが、最初に呼びかけたのは郡山の人たちではなく、柳原敏夫弁護士でした」と井上さんは言う。原発事故が起こってまず行動したのが、福島市の「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」だった。「年間20mSV」という方針を出した文部科学省に抗議し、「年間1mSV」に変更させる運動を展開した。それに比べると、郡山は少し遅れていた。
柳原弁護士の「郡山でも組織をつくって活動すべき」という呼びかけに有志が応じ、何を中心に訴えていくかが話し合われた。「一番は放射能に弱い子どもたちを安全な場所に逃がすことではないか」ということになり、申立人になった十四人の子どもたちのお母さんが裁判に加わった。「ふくしま集団疎開裁判」の始まりだった。支援者も集まったが、社会的立場がネックになって代表にはなれない、という人がほとんどで、「第三者的に活動しよう」と思っていた井上さんが、担ぎ上げられた。
井上さんは兵庫県の尼崎で生まれて、神戸で育った。大学時代はヒッピーの考え方に傾倒、中退してフラワーチルドレンとして活動した。ヒッピーたちの合言葉は「武器でなく花を」。反戦、平和主義がモットーで、伝統や制度など既成の価値観に縛られた人間生活ではない、真の愛と自由を求め続けた。
ところが70年代に入ると、体制から抜け出し、世間とは距離を置いた生活をしていたはずのヒッピーたちが、環境問題を通 して体制とまともにぶつかることになる。原発反対運動もその1つで、住民運動支援というかたちで現地に入り、活動した。井上さんもそんな1人だった。奄美大島の焼内湾に浮かぶ無人島・枝手久に石油基地を建設する計画が持ち上がり、井上さんは反対運動のために10年間、奄美のコミューンで仲間たちと暮らした。地元は賛成派と反対派、真っ二つに分かれて反目し合っていた。
沖縄返還後、トカラ列島に連なる島々は石油、リゾート開発、自衛隊基地などの予定地として目をつけられ、開発の嵐にさらされていた。井上さんは現地で大資本の琉球弧 侵略のすさまじさを目の当たりにした。そうしているうちに、徳之島に核再処理工場(MAT)計画があることを知った。仲間たちや反対派住民と一緒になっての闘いは続き、最終的には住民運動の勝利となった。
奥さんの縁で奥会津の只見町、昭和村と移り、郡山にやってきたのは七年前。そして3.11が起こった。
 幸い、電気は使えた。水は集合住宅のタンクに貯まっていた分がなくなったら、ぴたっと止まった。長年にわたって反原発運動をしてきたので、テレビを見ていただけで原発がどうなっていくのか、その道筋が読めた。奥さんが通 っている教会で牧師さんにあいさつし、事態がどれだけに深刻かを警告して13日に群馬県の高崎に避難した。
10日後の23日に戻ってきて情報収集したが、政府や東電による発表を元にして書かれた記事は、何も信じられなかった。インターネットで独自情報を得る一方で、ツイッターを始めた。4月中旬ごろになると汚染の全体像がおぼろげながらわかってきた。「何か行動を起こさなければ」という思いが募ってきた。
提訴は昨年6月で、被告は郡山市。井上さんたちが裁判で訴えているのは「健康に危険な場での教育の実施を差し止め、年間1mSV以内の安全な場所で教育して」という仮処分差し止めだ。井上さんによると郡山の場合、外部被曝だけでも年間5mSV~7mSVに達するところがあるという。しかし裁判で郡山市は「事故を起こしたのは東電であって郡山市ではない。市は除染による放射線量 の低減に務めている。市民が避難しても市はそれを妨げない」との理由で争う必要はない、という姿勢で応じた。
ここで壁になるのは「年間100mSV未満の低線量被曝の影響は実証的には確認されていない」という説とICRPによる「年間20mSVは国際スタンダード」という発言だ。さらに原告側が実質的に求めているのは「郡山市全員の小中学生避難」なので、体制側にとって「それはおおごとだ」という思いもある。裁判は地裁で却下され、現在仙台高裁で控訴審が行われている。
事故後「郡山の線量が高い」とわかったあと、まちはマスクをしている人の姿が目立ったが、夏になって外す人が多くなり、いまはほとんどしていない。井上さんによると「安全キャンペーンなどで放射能に対する不安を口にするのもはばかられる状態」だという。放射能に関する講演会を開くとびっくりするほどの人が集まるが、ほとんどは年配の人ばかり。孫を心配して来ているのだろうが、子育て世代が少ない。そこには「ほかの人たちの目が怖い」という思いも少なからずある。そしてインターネットで情報を収集することが中心になる。「まるで戦時中の国防婦人会を怖がるのと一緒です」とも言う。
ある会合で若い世代の1人がこんな発言をした。
「いまの状況が危険だという人もいるし、安全だという人もいる。わたしがどっちかについたら中立性が保たれなくなる。子どももいることだし、わたしはどちらとも決めつけないで中立でいきたい」
井上さんは唖然とした。「それは自分では判断しないということだ。子どもの健康、命に関わることなのに。そこに若い世代の意識を見た」と思った。
井上さんが裁判にこだわるのは、脱原発の市民運動などと比べて具体的だということ、さらに裁判に勝つことで三権分立を確保し、法的根拠、交渉力がほしいという思いもある。「放射能汚染のなかで、気持ちはいつも揺れ動いている。でも留まって仲間たちがいる郡山で闘いたい。裁判を突破口にして、この地で嘘・隠蔽を引っぱがしたい。放射線障害に関する福島県立医大の役割、正体をあばいて世間に訴えていきたい」
これが井上さんの偽らざる気持ちだ。

裁判費用は、ほとんどカンパ。弁護士は手弁当だという。そうしたなかでうれしいことがあった。レゲエを愛するミュージシャンがコンサートを開いて、その収益金を裁判費用に寄付してくれたのだ。
この裁判をきっかけに、いまの郡山の状態がいかにあやういかを全国に訴え続け、廃校などを利用した集団疎開を実現することが井上さんの願いだ。「市民が動かないと行政は動かない。行政は、現状を維持することを前提に考えているだけ。裁判を通してそれがわかった」。井上さんはそう言う。 
郡山市内有数のホットスポット、開成山公園
ふくしま集団疎開裁判
安全な場所に避難させて
郡山市の小、中学校に通う子どもたち14人が昨年624日、東京電力の福島第一原発事故による放射線被曝の恐れが強いと、郡山市を相手に年間1mSv以下の安全な場所で教育を受けられるように、一刻も早い学校ごとの疎開を求める仮処分の申し立てを福島地方裁判所郡山支部にしました。
その裁判の行方を追いました。
小児科医のはなし
内部被曝の可能性がとても高い
 できるだけ被曝を避けてほしい
ふくしま集団疎開裁判の会はこの夏から、総理官邸前の抗議行動に合わせて毎週金曜日、文科省前で抗議集会を開いています。十月の第二週の金曜日の数日前に、千葉県の小児科医から井上利男さんの元に「何とかしたいのですが」という連絡があった。医師からのそういう申し出は初めてで、12日の文科省前の抗議集会でスピーチをしてもらいました。その医師のスピーチの内容を紹介します。

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