2014年6月19日木曜日

集団的自衛権行使容認許すな!郡山市民集会アピール

2014年6月19日18:30~JR郡山駅西口ひろば

アピール
集団的自衛権の行使容認を許さず、憲法9条を守っていこう
 5月15日、安保法制懇の報告書を受けて、安倍首相は集団的自衛権の解釈改憲を強行する方針を表明し、早期の閣議決定に向けて暴走を加速させています。とりわけ政権離脱を回避したい公明党が「限定容認」の方向で着地点を探る動きを見せるや、自民党は集団的自衛権行使のための新たな「3要件」を持ち出して、公明党の取り込みに躍起になっています。
 郡山市民のみなさん。
 事態は切迫しています。集団的自衛権容認の閣議決定という危険な事態がいま間近に迫っています。国家権力を規制する憲法を、そのシバリが気に食わないと、縛られる当の政府が勝手に解釈でシバリをなくしてしまう――安倍政権がいまやろうとしている解釈改憲とはこういうことです。まさに近代憲法の根本原則である立憲主義の否定であり、憲法破壊以外の何ものでもありません。
 郡山市民のみなさん。
 集団的自衛権の本質とは何でしょうか。それは、「自国が攻撃されていないにもかかわらず、他国に対して武力を行使し、戦争する」ということです。あれこれの事態をいくら想定しても、様々な「限定条件」をいくらつけても、集団的自衛得権の行使とは「日本が先に戦争を仕掛ける」ことにほかなりません。 しかし、安倍首相は「国民の命を守る」を幾度となく繰り返しましたが、集団的自衛権行使の結果については何一つ語っていません。戦争になれば、どれほど多くの国民の命が奪われるか、そのことについては口を閉ざしたままです。
 大ウソで始めたイラクヘの侵略戦争、そこに自衛隊が派兵されました。しかし、自衛隊はただの一発も銃を撃ってはいません。憲法9条があったからです。憲法9条が「戦闘地域には行かない」「武力行使はしない」という歯止めをかけ、自衛隊員の命をギリギリのところで守ってきたのです。集団的自衛権を認めるということは、この歯止めをなくすことです。その結果、日本は「海外で戦争する国」「殺し殺される国」になります。市民のみなさん、「戦争する国」づくりにノーを突きつけましょう。
 先日、与党協議の場で閣議決定原案の概要が提示されました。しかし、それは「限定」どころか「無限定」そのものです。閣議決定原案の新「3要件」は「他国への武力攻撃」があり、「わが国の存立が脅かされる」「国民の生命、自由……が根底から覆されるおそれ」がある場合には、集団的自衛権を行使できるとしています。「おそれ」とは何か、それは主観的判断そのものです。しかも判断するのは時の政権です。いくらでも拡大解釈が可能であり、何の歯止めにもなりません。新「3要件」が援用している1972年の政府見解は集団的自衛権を否定したものですが、これを恣意的に切り取って集団的自衛権容認の根拠とするなどというのは黒を白と言いくるめるもので、国民を愚弄するものと言わねばなりません。
 郡山市民のみなさん。
 私たちの平和憲法は、アジア諸国民2000万と日本国民310万という多大の犠牲を強いたアジア太平洋戦争に対する痛苦の反省の上に、世界に向かって不戦の誓いを発信したものです。憲法9条は、日本の誇りであり世界の宝です。この9条を何としても守りぬき、集団的自衛権の解釈改憲を阻止していきましょう。日本を「殺し殺される国」につくり変えようとする安倍政権の右翼的暴走にストップをかけましょう。
          2014619
集団的自衛権行使容認許すな!郡山市民集会


1 件のコメント:

  1. 福島市在住の者です。
     私は仏教が好きで、その中でも特に不殺生戒が大事だと考えております。
     震災後南相馬に来て酪農の支援を2年程やりまして、すっかり牛が可愛くなって食べられなくなりました。 ましてこの手で殺すことなど想像したくありせん。 
     集団的自衛権を容認する人は、自分の手で人を殺す事を想像しているのでしょうか。それはアクション映画のようなものだと思っているのでしょうか。 
     中国では未だに人を無闇に殺すドラマがテレビで普通に流れています。これは仏教の廃れた悲しい末法の社会と言えます。 日本人にはそうした野蛮な社会を良い方向に導いていく境涯が求められていると思います。

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