2015年1月7日水曜日

【TV朝日】隠蔽か黙殺か ~封印された米軍核特殊部隊実測の汚染マップ~


隠蔽か黙殺か ~封印された汚染マップ~
TV朝日テレメンタリー2014211
カテゴリ:ニュースと政治 ライセンス:標準の YouTube ライセンス


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東日本大震災の直後、アメリカが下したある決断…それは、核テロや原発事故に緊急対応するスペシャリスト、核特殊部隊を日本に派遣すること。
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国務次官補(当時)カート・キャンベル:アメリカは絶望的な大惨事になることも考えました。政府は汚染状況がどれぐらい危険か確かめようとしたのです。

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核特殊部隊の切り札は空中測定システムAMS上空から地上の放射線量を実測し、広範囲に汚染状況を分析できる。
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駐日米大使(当時)ジョン・ルース:目的は、できる限り最高の情報を得て日本が危機に対処する手助けをすることでした。

1:07
その当時、日本はまだ人海戦術による陸上モニタリングに頼っていた。
1:22
これは、事故発生から6日後におこなわれた陸上モニタリングの結果。これでは、汚染状況を点でしか把握できない。

1:34
原子力安全委員会委員長(当時)班目春樹:ほんとにポツンポツンとあるだけなんです。場所によって全然、値も違いますし、全体として本当にどうなっているんだろう…
1:46
この写真は、実際におこなわれたモニタリングのようす…来日した部隊は、上空からの測定で地上1mの高さの放射線量を算出…この測定値と地理情報を併せて汚染マップを作成した。
2:10
京都大学原子炉実験所 今中哲二助教:NNSA(国家核安全保障庁)は、とにかくフクシマの上空をヘリコプターや飛行機で飛ぶわけです。これは飛行機が飛んだ軌跡ですよね。
2:23
福島第1原発から半径およそ45kmの地域を40時間以上飛行…放射能汚染の全容を把握していた。
2:29
今中哲二:そこで得られたデータを地図にすると、こういう汚染マップですね。ここが原発で、浪江から飯館、福島のほうに汚染が拡がったとわかります。

2:53
これが、完成した汚染マップ…北西方向に30km以上、1時間あたり125マイクロシーベルトを超える汚染地域が拡がっている。

3:14
汚染状況を予測するSPEEDIの公表遅れが問題になったが、SPEEDIはあくまで予測値である。AMSが決定的に違うのは、これが実際に測ったデータだったこと。
3:36
班目春樹:これ(AMS)は、まさに実測値ですから、それこそSPEEDIを使って予測するよりもはるかに信頼性が高いので、これをもとにいろいろな決定をするべきだと思ったわけです。

3:53
しかし、情報は公表されず、わざわざ放射線量が高い福島県北西部に避難してしまった人びとも多い。3人の子どもと浪江町から避難した被災者…汚染された食べ物による内部被曝を心配する。
4:19
浪江町から北西方向に避難した石井薫さん:山に入って、椎茸を採ったりとか、そういうものを食べていました。水も山の引っ張り水とかだったし…

4:34
検査の結果、高校生の長男から微量のセシウムが検出された。さらに甲状腺からも…
4:39
石井薫さん:のどのエコー検査で(嚢胞が)3つか4つ見つかったんですけど…「なんで俺ばっかりでるんだ」って言っていたのを覚えてますけど…政府も人事ですよね。(汚染マップの情報を)言ってくれれば、正しい判断ができたんじゃないかなって思いますけど。
5:00
語り/遠藤憲一だが、この汚染マップの存在が取り沙汰されるのは、事故から1年以上もたってからのこと…
5:25
2012710日、衆院予算委委員会/浪江町議会吉田敦博議長(当時):避難にあたって、なんの対策もデータも持たないわれわれにとって、(アメリカの情報は)得難い情報であったはずです。その情報すら公開しなかったことは、人災そのものであって…

5:40
参議院佐藤正久議員:政府の隠蔽で浴びなくてもよい放射能を浴びた方がいます。SPEEDIの推測値と違い、これは実測値なのです。
5:49
野田佳彦前総理大臣:住民の皆さまの命を守るために適切に情報を公開していくという姿勢が希薄だった…
6:00
なぜ汚染マップは封印されてしまったのか? 
6:16
2011311日/陸上自衛隊東北方面隊:福島第1原子力発電所の建物群の…上空であります。
6:24
福島第1原発の事故以来、日増しに募るアメリカの危機感…314日には1号機に続いて3号機でも水素爆発。

6:41
日本では情報不足が混乱に拍車をかけていた。そのころ、アメリカでは、情報収集のために緊急招集された核特殊部隊の精鋭、33人がおよそ8トンの機材を積み、日本に向け出発…17日には、被害状況の測定にとりかかった。ちょうどその日、アメリカでは独自の避難勧告が発令される。
7:22
カーニー報道官:福島第1原発から半径60km圏内にいるアメリカ人に対して避難するように勧告する。
7:33
アメリカが80km圏内の避難指示を出したのに対し、日本はまだ半径20km圏内を避難範囲としていた。汚染マップを見ると、避難対象から外れている場所でも、放射線量が高い地域が…

7:58
国務省日本部長(当時)ラスト・デミング:ホスト国と異なる発表をするのはやりにくいものでしたが、日本はアメリカと違う判断をしていたので…
8:13
国務次官補(当時)カート・キャンベル:日本よりも避難範囲が拡がった理由は、アメリカが慎重であったからです。ごく短い期間ですが、日米間には緊張した空気がありました。
8:35
避難指示にあたって、アメリカでは、AMSの実測データが重要な役割を果たす。
8:45
国務省対日支援担当(当時)ケビン・メア:どこまで汚染されているかを、できるだけ速く測りたかった。80kmの避難区域で十分か、もっと縮小するべきかを判断するときに、もちろん、そういう情報も使っていました。
9:03
アメリカ原子力規制委員会(NRC)の議事録でも、汚染マップを有効活用したことがうかがえる。
9:13
318日/NRC電話会議録:汚染が集中しているのは現場から北西方向であることがわかりました。約20kmを超えて帯状に4日間で10ミリシーベルト近くに達したり、それを超える地域があります。80km圏内の人を非難させる、われわれの提案は正しい決断でしたね。
9:38
独自データをもとに米軍の撤退も検討された。
9:45
米軍トップ、統合参謀本部長(当時)マイケル・マレン:同盟国の支持だけではすまされなかったのです。多くの部下も放射能にさらされる危険がありました。
9:57
カート・キャンベル:撤退案は確かに検討しました。しかし、オバマ大統領と大統領補佐官が米軍に断固として「撤退するな」と命じたのです。
10:16
もし日本が同盟国でなければ、全米軍が国外退去していた可能性があったという。
10:28
情報はすべて提供されていた
10:32
317日(現地時間)エネルギー省/ボネマン副長官:AMSによる最初の調査をおこない、情報収集をしています。すべて日本政府と情報共有しながら進めています。

10:48
日本に留まることを決めたアメリカは、自国民を守るためにも、日本への情報提供をつづけた。
11:01
ラスト・デミング:わたしたちが得た情報は、できる限り日本に提供していました。アメリカとしては、まったくダブルスタンダードはありませんでした。
11:17
NRC委員長(当時)グレゴリー・ヤツコ:わたしたちが焦点をあてたのは、できる限りの情報を提供することです。AMSのデータもありました。

11:35
確かに、測定前に打診を受けた日本政府の対応は、こう残されている――「日本政府はAMSの測定を含む、エネルギー省放射線プログラムチームの支援を受け入れた」
11:56
カート・キャンベル:これは日米共同の決断でした。原発周辺の状況を把握するために専門家が必要だと日米両政府が判断したのです。
12:12
番組が入手した内部文書によると、AMSのデータは翌日には外務省を通じて原子力安全・保安院に送られた――318日のメール)「訪日中のアメリカ・エネルギー省がおこなったモニタリングの結果をまとめた資料が、在京アメリカ大使館より送付されてきました…」
12:38
320日のメール)資料は文部科学省にも届けられた。しかし…
12:45
カート・キャンベル:危機レベルが極めて高いのに、日本の対応はすべてを否定するというものでした。
12:57
データ提供後も、日本では…
13:00
321日、枝野幸男官房長官会見:こうした大気中の放射性物質の濃度について、この詳細を文部科学省から、ご報告をさせていただいておりますが、まったく人体に影響をあたえるようなレベルのものではない…

13:16
汚染マップが活用されることはなかった…
13:22
田坂広志元内閣官房参与:実測の技術、航空機で実測していくという技術は、日本に比べて数段進んでいます。ですから、これくらい迅速にデータをとるわけです。そういう意味では、堂々とこれを活用するという考え方を本来とるべきだろうと思いますね。
13:40
今中哲二助教:それにもとづいて、そこの汚染地域の人たちに対して警告をするなり、避難指示をするなり、もっと早くできたはずだと…
13:52
なぜ地図は封印されたのか
13:56
情報を受け取っていた保安院は、こう弁明する…
14:03
2012618日、原子力安全・保安院会見:データを全部一元的に管理して、公表するというには、文部科学省の役割ということで、こういう海外のものというところはどうするか、確かにちょっと明確ではなかったと思います。

14:18
一方、文部科学省は…
14:20
2012619日、平野博文文部科学大臣(2012年当時):文科省の立場でいきますと、地上でのモニタリング担当ということでございまして、保安院のほうに(モニタリング結果は)送られているということですから…

14:33
責任を押し付け合う保安院と文科省…官邸に助言をおこなう原子力安全委員会にもデータが届けられたが…
14:51
Q:原子力安全委員会委員長の立場として、なんでこの地図を使って避難しないんだということを、一言いうことはできなかったのか…
14:57
班目春樹:避難をするかしないかということに関しては、避難指示を出すのは政府の仕事ですね。原子力安全委員会はそこまでは言えないというかですね…

15:20
国会事故調査委員会は、縦割り行政の結果、情報は止まったと結論づけた――「文科省は、このデータをみずからが所管するモニタリング・データでないとし、官邸に伝達しなかった。保安院においても、官邸に送付した形跡は認められない」
15:50
官邸は本当に知らなかったのか
15:53
カート・キャンベル:わたし個人は、そのデータを駐米日本大使・藤崎氏に渡しましたし、大使に渡された情報はすべて総理に渡ったと思います。
16:10
実は、アメリカは測定直後から(エネルギー省の)HPで汚染マップを公開している。
16:20
ケビン・メア:おかしいでしょ。一番重要な問題があったときに、どういう情報があるか、(官邸が)知らないという立場であるのは、ちょっとおかしいと思いますよね。菅政権の反応のやりかた、あまりうまくいってなかったとはっきり感じました。
16:42
しかし…
16:46
2012710日、衆院予算委/枝野幸男官房長官(事故当時):なぜ官邸に報告があがらなかったのかということについては、厳しく経産省内・保安院に問いただしておりますが…
16:56
完全否定する官邸サイド…だが、国会事故調の元委員は…
17:05
国会事故調査委員会委員(当時)野村修也:どう考えてもですね、この情報というのは、耳に届いていたんじゃないかと思われるわけですね。国というのは、そんなに情報に疎いわけではなくて、やっぱり国家の中枢というものは、情報はきちっと取れなければいけないわけで…

17:26
実は、核特殊部隊のデータは、測定をサポートした防衛省にも入っていた。
17:36
Q:その話は、北澤元大臣のもとには入っていましたか?
17:40
防衛大臣(当時)北澤俊美:そりゃ、もちろん入っていました。防衛省は(米軍と)一緒に仕事をしていたから、情報を早く入手できる…
17:48
Q:初めて17日に(AMSの)結果をご覧になったときは、どういうふうに思われ…
17:56
北澤:これは大変な事態だということは、われわれもすぐに認識しまして、活用したどうかというのが、防衛省側の考えだったですね。

18:09
では、官邸は汚染マップの存在を知っていたのか。北澤元大臣はこう断言した…
18:18
Q:モニタリングの結果を知らないことは…?
18:21
北澤:ありえない。それはありえない。
18:26
語り/遠藤憲一:封印された汚染マップ…官邸サイドは、その情報が届かなかったと主張した。だが、当時の菅政権の主要閣僚はこう断言する…
18:44
Q:(AMSのデータを)活用したほうがいいと…(官邸に伝えたか)?
18:47
北澤:情報として(原子力事故)対策本部にはどんどん出していましたからね。
18:53
Q:モニタリングの結果を(官邸が)知らないということは…?
18:56
北澤:ありえない。それはありえない。それはない。わたしはそれはないと思いますよ。
19:02
Q:それは早い段階で…? それぐらい重要なデータということで…?
19:04
北澤:それは官邸が知らないということはないと思うよ。
19:15
こちらは、番組が情報開示請求で入手した日米首脳の電話会談の記録である。
19:28
317日(日本時間)電話会談の様子/オバマ大統領:エネルギー省から専門家を派遣している。彼らはアメリカで最もよい人材であり、日本の災害対策本部と協力している。

19:44
核特殊部隊の派遣は、オバマから菅へ直接伝えられていたのだ。公表されなかった背景を、関係者は…
20:00
カート・キャンベル:日本政府はパニックを引き起こすことを恐れて、アメリカとは少し異なる立場をとったと思います。
20:12
北澤俊美:特に放射線量の高いところに避難指示を出すとなると、混乱を起こすと、それからその地域に荷重な恐怖感を与えると、そういう考え方があったのでは…
20:38
それは、隠蔽だったのか、それとも黙殺だったのか? 菅元首相とは数か月にわたり、書面や電話で交渉したが、インタビューは実現しなかった。しかし、官邸の原子力対策本部にいた福山は、汚染マップの存在を憶えている。
21:10
官房副長官(当時)福山哲郎320日前後だと思いますが、アメリカのモニタリング結果がこんなだと、A3版の非常に大きな資料として、東北全体の地図があって、そこにモニタリングで線量が色分けされているような資料をもらった記憶があります。
21:37
Q:それを総理とも共有された…?
21:17
福山:はい、当然です。当時は官房長官と総理とは、ずっと一緒にいたと言っても過言ではないぐらい…官邸では共有しています。
21:55
Q:国内での公表はできなかったのですか?
21:57
福山:アメリカの測定したものを日本が公表する…それはアメリカが持っているものですから…

22:08
だが、外務省の内部文書には、こんな記述が記されている――「在京アメリカ大使館から外務省に対し、本件モニタリング結果は公開されており、日本側での公開も可能である旨、連絡あり」
22:35
アメリカ側の測定で高濃度汚染が確認された飯舘村に5月末まで留まってしまった親子…
22:46
5月末まで飯舘村に滞在した母親:後から子どもたちの部屋の線量を測ったら高かったんですよ。わからなくていてしまったので、しかたないです。
23:10
娘の甲状腺に2cmほどの嚢胞が見つかった。
23:15
母親:長女には結局、(検査結果を)言ってないですよね。「大丈夫だったよ」としか言ってないですけども……(汚染マップが)どこで止まってしまったのか、止めたのは誰なのかと言いたいところです。なんと悔しいというか、怒りというか、ちゃんとご存じの方はいたんですね。
23:50
政府が汚染の激しい福島県北西部の一部を計画的避難区域に指定したのは、核特殊部隊の測定から1か月以上たった4月下旬…ほぼ全住民の退去が終わったのは、7月だった。時計の針は、もう巻き戻せない。

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