2015年3月2日月曜日

ダグラス・ラミス「沖縄非常事態」@JapanFocus Okinawa: State of Emergency

 アジア太平洋ジャーナル/ジャパン・フォーカス
アジア太平洋…そして世界を形成する諸勢力の批判的深層分析


アジア太平洋ジャーナル Vol. 13, Issue 6, No. 8, 2015216

沖縄非常事態
Feb. 12, 2015

C・ダグラス・ラミス C. Douglas Lummis

2015210日】沖縄北部、辺野古の米海兵隊キャンプ・シュワブのゲートの外側に看板が立ち、座り込み220日目と告知している。 その横に年配の男性が立ち、「沖縄人を差別するな」と大書された幟(のぼり)を掲げている。彼は、これはどの団体からも寄贈されたものではない、自分の金で作ったものだ、とわたしにいった。「これなんだ」と、彼は切羽詰まったようにいう。「これが問題なのだ!」。

彼の幟は、これまで15年ほどに沖縄人の基地反対運動が潜り抜けてきた激変、すなわち大幅な政治状況の再編を招いた発想の転換を象徴しており、その変化が、目下のますます必死になっていく政治対決の形に影を落としている。

手短にいえば、沖縄の政治は長年にわたり反戦・反基地革新派と、少数派ながら金があり、金さえ入ってくるなら、それほど基地を気にしない保守派の争いだった。ところが1995年に沖縄の女子中学生が米軍兵士3名に集団暴行されると、島をあげて激昂した。沖縄総決起大会が挙行され、それに革新派と保守派の垣根を越えて――約70,000の人びとが――結集し、人口130万の島では大人数の集会になった。米日両政府はなんらかの施策が必要だと覚悟した。

思いついた案は、沖縄中部の人口密集地、宜野湾市の真ん中に居座る米海兵隊航空基地の閉鎖を約束することだった。人びとは――当日だけ――喜んだが、翌日には、航空部隊施設が県外に移されるわけではなく、北方の名護市辺野古地区に移設されることが判明した。喜びは憤慨に変わった。

その後、ほぼ20年が過ぎ去った。普天間航空基地は相変わらず使われており、今のところ、基地反対行動が新基地の建設を阻止している。往時――そして今でも――最も頻繁に耳にしたスローガンは、「沖縄は日本の国土面積の0.6%しか占めていないのに、在日米軍基地全体の74%が配置されている」。面白いことに、これは反戦スローガンではなく――沖縄にある全米軍基地の撤去を要求しておらず――あからさまに不平等な処遇に対する抗議なのだ。この不平等な処遇の意味合いが沖縄人の意識に浸透するに伴い、これが反基地活動家たちの発想変革を促した。平和に寄せる沖縄の人びとの熱烈な思いに、自分たちは日本の植民地――あるいは、一部の人たちのいう、日本と米国の二重植民地――扱いされているという気づきが加わり、それがますます募っている。そして、「差別」のようなことばは、かつて政治用語に入っていなかったが、公論の中心テーマになっていった。このように状況把握の切り口が変わってしまったので、保守層が基地反対運動に参加する扉が開から、多くの保守派人士がそうした結果、保守陣営は分裂してしまった。保守派であっても、差別されても、侮辱されたと思わずにすむ理由はなにもない。

抗議運動の動機となるもうひとつの要素として、大浦湾は、沖縄で、また日本で最後の原生サンゴの楽園であり、絶滅が危惧される海棲哺乳類、ジュゴンなど、数千の海洋生物希少種がいる豊かな生息海域であるが、この新基地の建設計画に伴って、大量の土砂とコンクリートがここに投入されることになる。この計画は理不尽なまでに破壊的であり、革新派だけでなく、保守派の多くも心底から不快になった。新たな連合がしだいに形成され、これは思想的には革新派が独自に抱いていたイデオロギーほど純粋ではないが、政治的には、はるかに強力になった。

現職の知事だった仲井眞弘多氏は2010年、主だった相談相手のひとりで当時の那覇市長、翁長雄志氏から、次の選挙で積極的な反基地姿勢を打ち出さなければ、確実に負けると進言された。仲井眞氏は忠告を受け入れて立場を変え、海兵隊の航空施設を辺野古に移転させるのではなく、日本の本土に移すべきだといった。これが功を奏して、仲井眞氏は選挙で勝利した。この気難しいご老体はその後の4年間、辺野古の新基地に反対する演技を立派に見せてきたが、任期の終盤に差し掛かり、突然、態度を変え、埋め立て工事の着工許可書を発行した。この選挙公約破りは、彼を説得して、この公約を作らせた翁長・那覇市長をはじめ、多くの激しい怒りを招いた。翁長氏は2014年に実施された次の選挙で、仲井眞氏に対抗して、反基地政策を掲げて出馬し、10万票に迫る前例のない票差で相手を打ち負かした。翁長氏の歴史的勝利の少し前、名護市の反基地市長が、相手陣営に対する安倍晋三政権の圧倒的な支援にもかかわらず、再選されていた。おまけに、衆議院の総選挙で4人の基地賛成派候補の全員が沖縄の小選挙区で完敗した。沖縄の有権者が新基地に反対の意志を固めたのは疑問の余地なく明らかであり、度重なる世論調査の結果もそれを裏づけている。

日米両政府は、新基地に反対する、この沖縄人の圧倒的な意思をただ無視することに決めた。安部首相は、選挙結果が建設になんら影響するものではないと繰り返し公言した。安倍政権の沖縄政策が根深い差別にじっさいにもとづいていることは、疑う人を説得する計算づくの所為であると思えた。これが現時点の状況である。建設に向けた現場の準備作業は、選挙期間中に中断されていたが、115日に再開された。沖縄において、あの伝説的な難問中の難問がいま試されている――抵抗不可能な力が動かせない対象に出会えば、なにが起こるだろうか?

機動隊の手荒い扱いを受ける女性 
動かせない対象の側に、なによりもまず、115日以降、1日に24時間、1周間に7日間、不断におこなわれているキャンプ・シュワブ第1ゲート前の座り込みがある。このデモ行動の目的は、基地建設工事の関係トラックの基地入構を阻止すること、あるいは失敗した場合、遅らせることである。抵抗不可能な力の側に、トラックの前に座り込んだり身を横たえたりする抗議活動家を拘束したり排除したりする任務を帯びるバス2台分の機動隊が配置されている。日中に比べて、夜間は抗議者の人数が少なくなるので、いまでは夜明け直後、あるいは時には真夜中にさえ、大半のトラックが到着する。抗議者たちはビニールシートとポールを使って、弱々しく雨漏りのするテントを急増して、眠れる――あるいは、寝ようとする――ようにした。とりわけ雨が降る夜には、運が悪いとわたしは聞いている。それにもかかわらず、大勢の人たちが一時に何日もそこで野営している。座り込みをする人たちのほとんどは、中年か――時には70代、80代の――年配者である。その理由はひとつには、たいがい退職しており、連日そこに通っても差し支えないこともあるが、彼らが沖縄戦の記憶を胸に秘める世代であり、戦争とそれに関連することすべてに恐れと嫌悪をこころから感じるからでもある。この辺野古基地に反対する闘争は、この世代の沖縄人にとって、最後の意思表示であり、歴史的な遺産となるのかもしれない。

2の対決が、キャンプ・シュワブに近接し、新しい飛行場施設が計画されている大浦湾で繰り広げられている。この海上に、海上保安庁の船団が――たぶん海上に漏れた油を閉じ込めることが本来の用途だからと思うが――オイル・フェンスと呼ばれるフロートを連ねたもので広大な水面を囲い込み、何人もこのフェンスの内側に進入してはならないと規制している。連日、10人以上の抗議者がシーカヤックに乗り込み、フェンスのあちこちに出没する。なかにはフェンスを乗り越え、工事の邪魔をしようとする者もいる。

政府は彼らの行動を阻止するために、海上保安庁の警備艇と高速艇の大船団を送り込んだ。全船が舳先を工事海域に向けて沖合に整列した警備艇の船団のさまは、さながらグレート・ホワイト・フリート[白い大艦隊=1907年~09年、ルーズベルトがアメリカの新興海軍力を誇示するために、世界一周巡航に派遣した白塗り艦隊]である。わたしが数えてみると12隻はあったが、わたしより視力がある人たちはもっと多いという。これは、日本政府がシーカヤッカーたちに対して、領土紛争中の尖閣諸島/釣魚群島をめぐる中国との大掛かりな対決に匹敵する警備部隊を派遣したことを意味するだろう。海岸から見れば、まるで、いまにも沖縄が侵略されるかのようだ。威風堂々とした白塗りの警備艇から数隻の黒い双発高速ゴムボートが発進し、それぞれにヘルメット姿の頑強な海上保安官(女性保安官を見なかった)が4名乗り組み、その体躯はライフジャケットに装着されたさまざまな機器で凸凹ふくらみ、泳ごうとする抗議者がいれば、海中に飛び込めるように、スキューバ・タンクとフィンを装着している者もいる。

カヤッカーたちはオイル・フェンスを乗り越える技を身につけた(背を反らせて舳先を海上にあげ、強く漕いでフェンスに乗り上げ、身を乗り出して、内側に滑りこむ)。だが、内側に入った者は、たちまち巨大な水生昆虫の群れに包囲される。海上保安庁は「安全確保のための適切な警備」と説明するが、これでは、カヤッカーを海へ突き飛ばしたり、背後から跳びかかり、頭を水中に突っ込んだりする行為の説明がつかない。岸から4 km沖合に引っ張っていって、サンゴ礁を離れた外海に放置し、戻れるものなら、戻ってみろと言った説明もつかない。カヤッカー側が、数のうえでも、力のうえでも太刀打ちできないとしても、近寄るのを食い止めるためにエネルギーを消耗し、作業がたいして進まないので、阻止力の主役になっている。また、政府が動員する大規模な戦力は、政府がカヤッカーたちを恐れている程度の明解な指標になっている。それにしても、政府が重さ10トンないし45トンのコンクリート・ブロックを海中に投入するにおよんで、基地建設を阻止する緊急性は高まっている。

だから、カヤッカーたちも諦めず、毎日、出動する。

湾内の対決
第三の対決現場は、沖縄県庁である。反基地革新派と反基地保守派の同盟において、座り込みとカヤック行動を実行しているのは、主として革新派であるが、県庁の実権を握っているのは、主として保守派である。保守派の反基地の思いが真摯なものであっても、彼らは、この類の対決を辞さない政治に慣れていない。ゆっくり動き、書類を繰り、道筋をたどって仕事し、取引することが彼らの生きかたであり、新たな状況に合わせるのは難しいと気づいている。

翁長知事は選挙が終わるとすぐ、習慣に従って、総理大臣、その他の高官を表敬訪問するために上京したが、安倍晋三首相と菅義偉官房長官は面会をむげなく断り、知事をホテルの自室で無為にすごすことを余儀なくさせた。面会したのは、山口俊一沖縄担当相だけだった。知事は屈服を拒み、それから何度か上京したが、本稿の執筆時点で面会した政府高官は、山口大臣だけである。たいがいの沖縄人は、これが翁長個人に対する侮辱であるにとどまらず、沖縄人全体に対する侮辱であると判断した。これは、反基地陣営に立った翁長氏の地滑り的な選挙戦勝利で明確に表明された沖縄人の政治意志が、安倍政権にとって顧慮するに値しないものとして扱われることを示す、間違えようのないメッセージだった。政府はただちに、それまで5年間、連続して増額していた沖縄振興予算を4.6%削減、3340億円(28億ドル)に切り詰めて、この要点を強調してみせた。

いま翁長知事が直面する重要問題は、航空施設の建設用地を造成するための、防衛省による大浦湾水面埋め立て許可申請に対する前知事の公式認可に対処する方策である。日本の法律によれば、県知事の認可がなければ、埋め立て工事を実施できないが、仲井眞前知事が認可を与えていた。そして、知事は日本の法律にもとづき、すでに付与していた認可を破棄または取り消しする権限を有する。破棄は婚約破棄に似ている。手続きに法律上の不備があれば、事は決して成就しない。結局、結婚は成立しない。取り消しは離婚に似ている。結婚生活は法的なものであり、重要な事情が変われば、結婚に終止符を打つ。認可破棄の場合、前者であり、法律にもとづくので、より強く、より決定的である。だが、説得力のある形で実行するためには、まず法務専門家たちの手を借りて、法的手続き全体を慎重に検討しなければならない。後者の場合、法律にもとづかず、むしろ政治判断であり、知事の裁量権で決定できる。したがって、ただちに実行できるが、中央政府に無視される危険性が大きくなる。

知事は、公有水面埋め立て承認書交付にいたる法手続きに、それを破棄することを正当化するだけの重大な瑕疵がないか検証するために、法律および環境専門家の委員会を設置した。委員会の座長は、検証を終えるのに6月末までかかるという。これでは、カヤッカーたちが連日の海戦を耐え抜き、座り込み参加者たちが24時間監視をつづけると期待するには、非常に長く時間がかかりすぎる。しかも、大浦湾の貴重なサンゴの楽園の破壊はすでに始まっており、7月にどれほど残っているか、わかったものではない。そこで、まったく当然のことながら、ただちに中止命令を出せという圧力が知事にかけられ、日増しにそれが強まっている。だが、それに対して、霞ヶ関の政府がこれまで知事のやることなすことを無視してきたので、たとえ中止命令を出しても同じことであり、ただ無視するだけだという意見もある。これはどっちみち、カヤッカーたちと座り込み参加者たちが抗議行動を続けなければならないことを意味している。さらに、中止命令を出せば、7月になれば発布されるはずの破棄命令が裁判所に支持されるチャンスを損なうことになるという見解を示す法律家もいる。

本稿の執筆時点で、この凄まじいジレンマがどのように決着するか明らかでない。だが、キャンプ・シュワブ現地の抗議活動家たちにかかる重荷がすぐにでも軽くなる見込みはとても考えられない。

わたしの住む那覇市から辺野古の座り込み現場に人びとを運ぶバスが毎日運行されている。これは観光バスなので、マイク装置があり、4時間半の旅程がとても面白い政治論議の機会になっている。先週、わたしが乗車したおり、ある女性が「いずれにせよ、わたしたちはこれに勝利しなければなりません。でなければ、沖縄の終わりです」といった。多くのひとたちがそう感じている。この思いは並でない。霞ヶ関の政府は、いつもの方法――金、密室取引、空約束、分断統治――では、もはや沖縄で君臨できるものでないと気づき、沖縄に対する総力戦的な正面攻撃の挙に出て、それに頼りきり、信じている。政府はこのさい、勇敢で独立心のある人びとの意志を徹底的に打ち砕こうとしているようだ。わたしは政府が失敗すると信じるが、その瀬戸際に迫ろうとしている。

本稿の読者のみなさんのなかに、この危機の渦中にある沖縄の人びとに支援の手を貸してもいいという方がおられるなら、できることはたくさんある。まず、あなたご自身の声をあげることができる。あなたの好みに応じて、だれかと個人的に話しあったり、あるいはマイク、手紙、プラカード、リーフレットを使ったりして、そうできる。日本の国外にお住まいなら、日本の大使館や領事館に対して、入館するなり外の街路に立つなりして、あなたの意見を表明できる。米国にお住まいなら、あなたの選挙区の議員、あるいは下院軍事委員長、海兵隊総司令官、または大統領(より正確には、大統領苦情処理官)にあなたの意見を伝えることができる(米国政府関係者のだれかに接触なさるなら、現在の路線をつづけると、沖縄に出入りする権限を全面的に失う現実的な危険があると彼らに気づかせられるかもしれない。当方はそれで一向に構わないが、彼らとしては、やっていることについて、もう少し慎重に考える一助になるかもしれない)。あなたが日本にお住まいなら、またそうできるなら、沖縄に行き、ご自身の目で状況を見て、あるいは座り込みに参加することさえできる。

あなたが日本国籍であり、沖縄以外にお住いなら、極めて強力な武器を使うことができる。沖縄の島ぐるみ運動の大前提に、米軍基地の不平等な配置(小さな沖縄に75%)の強制は不当であり、差別的であるということがある。沖縄に連帯して行動することは、「沖縄人を差別するな」という原則と連帯して行動することになる。それを実行する正攻法として、お住いの地域で「平等負担の会」を結成し、米軍基地が好きなわけではないが、いまこそ沖縄の負担を軽減し、自分たちの地域に普天間海兵隊航空基地の代替基地を自分たちの地域に受け入れるべき時であると公言して、現状ではそうでないが、少なくとも日本国民の世論が米軍基地の一切合財を日本国外に移転させることを支持するようになるまで、これを続けるのである。そうすれば、日本政府が辺野古に基地を押し付ける唯一の「現実的」な言い訳(「他に受け入れる場所がない」)を掘り崩し、沖縄の運動を大いに元気づける効果がある。

もちろん、他にもできる行動は数多くある。あなたに沖縄を支援する思いがあるなら、いまこそ実行のとき!

【筆者】

C・ダグラス・ラミス(C. Douglas Lummis)は、駐沖縄米国海兵隊の元隊員、現在は沖縄住民、沖縄国際大学の講師、著書にRadical Democracy[『ラディカル・デモクラシー』]、その他日英両語の著作が多数。ジャパン・フォーカスの寄稿・編集者であり、津田塾大学の元教授。

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